第1回・田単 ・斉の下級役人だったが、燕が攻めてきた際に車輪の軸を折れないように補強して脱出できたのを買われ、即墨の守将に抜擢される。反間の計で楽毅を失脚させたのを皮切りに計略を駆使し、楽毅の後任の騎劫を火牛の計で撃破、奪われた七十余城をことごとく取り返し、その功により安平君に封ぜられる。 |
第2回・趙の武霊王 ・騎馬民族の習慣である胡服騎射(馬に乗れるようにズボンをはいて、騎射する事)の便利さに注目。臣下の反対を押し切って、それを導入した。結果として騎兵を導入した趙は強力になり、最盛期を迎えた。自ら身分を隠して秦に偵察に行くというお茶目・・いや、破天荒な人でもある。 |
第3回・燕の昭王 ・「まず隗より始めよ」(そこそこの人材を厚遇することにより有能な人材を集めろ、現在では言い出しっぺからやれと言う意味)という郭隗の意見を聞き、楽毅、劇辛、鄒衍などの賢才を集め、壊滅寸前の燕を立て直し、仇敵の斉をあと一歩の所まで追いつめるまでにした名君。彼の治世が燕の最盛期と言われている。昭王より全軍を任された楽毅はこの君主の知遇に応え、彼の死後、手紙によりその忠義の心を彼の跡継ぎの恵王に吐露した。ここまで臣下に想われるとは、君主冥利に尽きるというものである。 |
第4回・平原君 ・武霊王の子で恵文王の弟。足の悪い男を笑った妾を放っておくと食客は離れていき、妾を殺して男に詫びると食客がまた集まってきた話は有名。恵文王、孝成王の代に三度宰相となる。韓の上党の太守馮亭の言を入れて、長平の戦いでの敗戦を招く原因を作ってしまったが、趙都邯鄲が包囲された際には、楚との合従を定め、趙の危機を救った。 |
第5回・孟嘗君 ・斉の宣王の庶弟である田嬰の子。食客を集め、公平に待遇したのでその名声は各地に知れ渡っていた。「鶏鳴狗盗」のエピソードにも見られるように、周りにいるバラエティにあふれた食客が様々に活躍して、彼をもり立てている。彼もまたそんな食客の態度や行動を穏やかに見守っている。時々気性の激しさ故の言動を諫言されて反省するけど、それもご愛敬。のちに自分の名声が脅かされるのを恐れた王に遠ざけられ、魏で宰相となる。 |
第6回・楽毅 ・先祖は魏の楽羊。はじめ趙の武霊王に仕え、その後賢人を招いていた燕の昭王の許に行き、5か国の軍を率い斉を破り70余城を落とすが、あと一歩のところで昭王の跡継ぎで、楽毅を疑う恵王に解任され、誅殺を恐れ趙に亡命する。その後燕軍は大敗し、後悔した恵王は彼が燕に攻めてくるのを恐れ、また呼び戻そうとした。その時の彼の返書は昭王への忠義心にあふれたものである。結局燕ともよしみを結び、趙で生涯を終えた。 |
第7回・信陵君 ・昭王の子で、安釐王の末弟。 |
第8回・春申君 ・四君のうち彼だけは王族ではない。楚の頃襄王に仕え、巧みな弁舌で秦に遣いし、楚を攻めようとした秦を説得し、かえって同盟を結ばせた。太子の完とともに秦の人質となり、秦の宰相范雎に説いて、帰国させることに成功した。 |