潘濬、字は承明。蜀側から見れば、許し難い裏切り者である。楊戯の『季漢輔臣賛』では、麋芳、士仁、普とともに裏切り者として皮肉のような賛が寄せられている。 しかし、呉の側から見ればその扱いはすっかり変わっている。陸機の「弁亡論」にも、行政手腕を表した功臣として名前が挙げられている。また、『三国志』の注にある『江表伝』には、荊州が呉の手に落ちたときに、病気と称して目通りしようとしなかった潘濬を孫権が無理矢理連れてこさせ、古人の例を引いて、泣いていた彼を説得させたという話を挙げている。少々誇張した感があるにしても、そんな話が残っていることからも彼が保身のために呉に降ったとは考えにくい。 『季漢輔臣賛』は、前記の4人の賛を「(ほかの)二国の笑い者になった」と結んでいる。しかし、潘濬に関してはそうとは言えないのではないだろうか。 余談。彼らの中で厳密な意味で「裏切った」と言えるのは、麋芳だけのような気がする・・。 |