『演義』を読んで、考えたこと。
何故曹仁はあんなに敗戦ばっかりやってるのに何回も重要地に出てはさらに負けてるんでしょうか?それだったら出さなきゃいいじゃん。答えは下の4つです。
1.正史ではほとんど敗戦の記録がないんだから、逆に言うと正しく戦功を挙げているから出すしかないんでしょ。
2.曹操にとって、出来の悪い子(従弟だ)ほど可愛いからついつい。
3.まあ、でも全く役に立たないわけではなく、一応馬超戦なんかでも頑張ってはいるのよ。
4.蜀ファンのうっぷんを晴らすために負けても負けても出てくるようにされてしまった。要するにやられ役としての悪役を振られてしまったわけ。
てな感じで、正史での戦功はかなりの割合で無視され、その代わりに随所に敗戦を創作されてしまった、哀れな曹仁でした。
いい例が樊城の戦いでしょう。
だいたい、正史で立伝されている人物は負け戦を本伝に書かずに、負けをくらった相手、または同僚や属官の伝に書かれていることも多いのです。例えば曹仁最後の戦いの場合、本伝にはないのに朱桓伝や蒋済伝にしっかりと敗戦の記録が書かれてます。ということは、樊城で曹仁が負けてるのなら、「蜀書」などに書かれてもいいはずです。で、調べました。・・・曹仁を負かしたという記述はどこにもありませんでした。それどころか、反乱軍を切ってるじゃん。
それなのに、『演義』では「関羽と曹仁じゃレベルが違うよねー」と言わんばかりの扱い。負けに負けて樊城での籠城を余儀なくされ、挙げ句の果てには逃げようとして満寵に諫言される始末。で、徐晃に救われて、曹操に泣いてわびる情けない役どころです。満寵や徐晃がかっこいいだけに、いや増す情けなさ・・・。逆に言うと、ここまで変えることの出来た羅貫中もすごいと言えばすごいですが・・・(苦笑)そういえば江陵攻防戦(赤壁後の対周瑜戦)も、より大げさに負けさせられてる・・・。
よっぽどファンの恨みを買ったんだね。